今回は女性における中心的象徴としての「容器」とその変容の諸相を概観する。
<女性-身体-容器-世界>
原始社会において外界は投影によって「世界 - 身体 - 容器」として体験される。無意識の内容が神や星として認識され、さらに神が身体部位や器官と対応させられる。
世界を直立する巨人と考えるジャイナ教、リグ・ヴェーダの「原人プルシャ」などがその典型的な例だろうか。
リグ・ヴェーダの原人プルシャは宇宙より大きいとされる
中国最古の神話では創世神である盤古の死体から太陽や月、山川草木など自然界の全てが生まれたとされ、伏犧と女カの創造神話と好対照をなしている。最古のウパニシャッドであるプリハド・アーランヤカでは人間の死後、身体の各部分が太陽、月、大地、草木などに還元される事が説かれている。神が世界を創造したという父権的神話より神の死体から世界が生じたとする母権的神話の方が古いようだ。
「黄庭内景経」は五臓六腑が目や耳などの感覚器官と対応し、さらに宇宙の現象とも対応しているという考え方で書かれている。(ヨーガのチャクラにも似た発想がある)
下の内景図は中華民国時代に書かれたものだが、脊椎や内臓に気を循環させ凝縮、浄化していく「小周天」の行が大自然との相関や田園生活の比喩で説明される。
ギリシャ神話やエジプト神話には宇宙全体を体内とする神はいないが、大河オケアノスや大地ガイア、エジプトの大地神ゲブと天空神ヌトなどがそれに近い。
エジプトの天空神ヌトと大地神ゲブ
現代人はこれらを「元型イメージの投影」と考えるが、古代人は内と外、人間と世界、力と物が分かち難い統一体をなす精神物理的空間に生きていたのである。
母権社会ではこの身体一容器としての世界がさらに「女性の身体」であると表象される。バッハオーフェンはその根拠を農業と生殖、養育の相似象に見たが、ユングは母性の基本を「包み込む事」と捉える事で農業に限らず狩猟・遊牧社会も包含する視点が可能になった。ノイマンはさらにそれを文化的象徴をも含む象徴体系へと発展させる事で現代社会にも古層として残っている事を示す。
<象徴の変容>
下のノイマンの図は「グレート・ウーマン」が基本的性格から変容していく拡がりを示す象徴連関の系統樹であり「女性性の現象学」である。
(実はここでのノイマンの記述は細かく見ると矛盾と混乱が見られ、また説明と図が一致していない。僕に解る様に整理し矛盾のある点は修正したい。)
「容器」は特に女性にとって(従って母権社会にとって)最も基本的な象徴である。容器の内部は暗く知られざる無意識であり、腹部の入口である子宮は大地と繋がっている。夜、深淵、峡谷、深海などの表象がこれに連なる。全ての開口部は内部と外部の交換地点として装飾的に保護され崇拝される。
<容器の基本的機能-包み保護する>
山は大地の一部だが、洞穴とつながる事でやはり女性の身体-容器と認識される。岩や石も同じ意味を持つ。さらに洞穴は墓を通して棺、骨壷などの表象に繋がる。また洞穴は原始人の住居、墓となる。住居はその集合である村、都市に繋がる。家の壁は都市の城壁へと発展する。
山は男性的な象徴ではないか?という疑問を持つ向きもあるだろうが、山の神は女神と見られる事が多い様だ。ひとまずノイマンの言う事に従ってみよう。
ノイマンは「グレートウーマン」の最初の機能的分化が「包み込む機能」と「保護する機能」への分化としているが、この説明は無理が有ると思う。包み込む事は保護する事であり、前者の例に挙げた柘榴やケシの実と後者の例に挙げた衣服の機能に違いは認められない。ただ後者は人工物である点が違う。
容器の基本的機能は「包み込み保護する事」であると考えるべきだろう。女性の身体としての世界は胎児を子宮という容器で、産まれた人間を世界という容器で、死者を墓、棺、骨壺という容器で保護しているのだ。
「包み込む」機能を象徴する動植物は柘榴、芥子など種子を包み込む果実、動物では多産な豚や子宮に似たイカ、タコ、貝、などである。人工物としては樽、バスケット、かいば桶、麻袋などの容器、またシャツ、ドレス、コートなどの衣服は保護機能に重点を置いた象徴と見なされる。
<容器の機能分化>
ノイマンの発想を活かすとすれば、最初の機能的分化は「包み込む機能」から「与える機能」と「変容させる」機能が分化する事と考えるべきだろう。与える機能は「養う機能」へと発展し乳房に関係付けられる。変容させる機能はさらに精神性を付加して文化的象徴へと繋がって行く。ノイマンの体系ではこの分化がグレートマザーやアニマの両義性へと繋がっていくと理解されている。両義性の根源はノイマンではユングよりずっと根源的な所に由来する。
<木>
大地母神は植物の母であり、バッハオーフェンが強調した様に生殖、育児と農業の相似象こそ大地母神の核心である。
木は葉や小枝を産み養い変容させ、鳥や巣を隠して保護する女性的性格を第一義とし、しかし同時に男根の象徴でもある。果樹や葉の多い木は女性的性格が勝り、糸杉などは男性的性格が勝る。
木の両性具有性はインドのシバ神のリンガの中に女性原理としてのシャクティが含まれている事に典型的に表現されている。
象徴の力点は社会が母権的か父権的かによって異なる。
母権制ではオシリスの埋め込まれた杉の柱でさえ棺-死者を入れる容器として女性的であり、男根的な木も大地に依存する事が強調される。
父権制では母なる(mater)性格は物質(materia)として価値の低い物とされ、「天上にある木」や「アダムの肋骨からイヴを作る」などの自然過程に反する「反自然的象徴」を作ろうとする。しかし父権社会でもこの図にある様な無意識から発する自然象徴が象徴体系の骨格となりそれが母権的性格を保持しているので、母権的要素を絶滅する事はできない。
グレートウーマンの両義性は木にも波及し、家として生命誕生、養育の場でもあり、棺として死者の容器ともなる。棺の延長に絞首台、十字架、火刑柱などの「死の木」のイメージ群が連なる。
大地は植物の生命を支配しているので、女性性の秘儀は大地とその変容の形の中にある。従ってグレートマザーの元型は石器時代の狩猟社会にも認められる。植物の成長に伴う形と色彩の神秘的過程は大地の下で雨と太陽光の力、さらに星や月の影響の下で進む。これは三木成夫氏が指摘した事、即ち植物の生のリズムは大自然に解放され、太陽が心臓であるとさえ言えるという事と同じ事態をさしている。
動物もこの植物を食料や巣だけでなく休憩所にしたり木の幹で爪を研いだり手長猿の様に運動器具として利用したりなど、植物世界に溶け込み、それに依存している。そして植物の生命力の根源は大地と雨と太陽など大自然の力である。
<腹部と乳房>
ノイマンはグレートマザーの両義性への分裂、マザーとアニマの分離、アニマの両義性への分裂、自然象徴から人工物への延長、要するに系統樹の幹から枝へ分岐して行くその全てを総合して「女性の変容」と呼んでいるようだ。もちろんそこにはそれら全てが相互に関連し合って進むという理解がある。
女性性の基本的性格は腹部、容器であるのに対し、変容的性格は乳房に象徴されると言う。それは最も基本的な「包み込む」機能から「与える」「養育する」機能への転換である。
変容的性格の最初の兆候を示す茶碗、コップなどのグループは容器は大きく開いていて「包み込む」機能と「与える」機能を結びつけている。
ヤカン、急須、ジョウロなどは「注ぎ込む一与える」機能を持ち、オーブン、レトルトなどは「中身を変容させる」機能を持つ事で単なる容器から変容している。この与え、変化させる事でこれらは乳房の系列となる。
車、船、飛行機など乗り物も単なる保護する箱ではなく「運ぶ」という別の機能を担うため容器からの分化と見なされる。
<精神的変容としての飲食物>
ノイマンの図には衣食住に関する全ての人工物までが自然からの変容象徴として描かれている。人工物は単なる技術ではなく「変容の秘儀」なのであり、従って精神性を持っているのである。
果実から果汁へ、発酵を経て果実酒への変容は月と結びつきソーマ、ネクター、ミードなど不死の酒となる。植物から採れる薬物、毒物も同様である。毒もまた薬物と同様ヌミノスを持っている。
酒、薬物、毒物は酩酊、病気と治癒、中毒など人格変容をもたらす精神原理として体験する。
水の性格は本来精神的変容と結び付いている。母なる海、原初の子宮のイメージがそれを表している。水は変容して「養育する水」ミルクとなり乳房と関連付けられる。水は包み込む事で腹部と、養い変容させる事で乳房と関連付けられる。雨は天のミルクであり地下水は大地のミルクである。それを見事に表現しているのがインドの「乳海撹拌」神話だろう。インド神話はギリシャ神話に比べると日本では知名度が低いので簡単に紹介する。
不老不死の霊薬アムリタをめぐって神々とアスラが長い戦いをつづけていたが、両者は疲労困憊しヴィシュヌ神に助けを求めた。
ヴィシュヌは「戦いをやめ、神々とアスラが協力して大海を撹拌すれば甘露(アムリタ)が出現するだろう。得られたアムリタを飲めば良い」と答えた。アムリタを分け合うことを条件にアスラは協力に応じた。
神々とアスラは協力して天空に聳えるマンダラ山を引っこ抜いて海まで運び、山にヴァースキ竜王を巻き付け、神々はヴァースキの尾側を、アスラは頭側を持ち、綱引きの様に引っ張って山を回転させ海を撹拌した。ヴィシュヌは巨大亀クールマとなって海に入り支点となって山を支えた。
ヴァースキ竜王は強く引っ張られて苦しみ口から火と煙を吐いた。海に棲む生物はことごとく大山に潰されて死に、マンダラ山の木々は擦れ合って燃え上がり山火事となった。象や獅子など多くの獣が焼け死んだ。
インドラが雨を降らせて山火事を消すと樹木や薬草のエキスが大量に海に流れ込み海は乳海となった。ヴァースキが苦しんで口から毒を吐いたがシヴァ神がそれを飲み干した。シヴァ神は毒によって青く変色した。
1000年間攪拌が続き、乳海からはさまざまなものが生じた。太陽と月、白衣の吉祥天女、酒の女神、白馬、牛、宝石、願いを叶える樹カルパヴリクシャ、聖樹パーリジャータ 、アプサラスたち、女神ラクシュミーが次々と生まれ、最後にようやく医神ダヌヴァンタリがアムリタの入った白壺を持って現れた。
アスラは約束通り一度は神々とアムリタを共有したが、機転を利かせたヴィシュヌ神が美女に変身して誘惑し、心を奪われたアスラたちはアムリタを美女に手渡した。その結果、アムリタは神々のものとなった。
ここで乳海は海にマンダラ山の樹木や薬草のエキスが混入し変容したもので、そこから英気を養うアムリタが生ずる。世界創造において水がミルクへ変容する事の役割をこれほど鮮明に示した神話はない。
水の変容的性格との関係で注目されるのは(川は男性として表される事が多いが)水は本来両性的だという事である。ナイル川の神ハピは男神だが垂れた女性の胸を持つ。龍神のヤマタノオロチは若い女性を要求するなど雄の性格が強いが水神のミヅハノメは女神である。同じく水神のクラオカミ、タカオカミは男神とも女神とも規定は無いが、後に真言密教と集合してからは善女龍王と結び付けられやはり女神と考えられる様になった。
水は池、湖、泉から井戸などの人工物の表象へと繋がる。
水と同様に食べ物、飲み物も空腹と満腹、渇きと癒しなど変容の神秘体験である。火による食品の加工、焼く、煮る、炙るなども同様。
物質的変化が人格性の錬金術的変容として現れ、自然物が文化的象徴となる過程は神話の生成する前提である。
こうして草は穀物からパンとなり聖餐となる。花は王冠や曼荼羅となる。
<母権制における精神的変容の極致>
母権制における最も抽象的で精神的な象徴は心臓や口と関係すると理解される。口~呼吸~言葉~ロゴスの系列は父権的なものに占領された今も母権的源泉を示している。
前回書いた様に女性性の変容は初潮、妊娠、出産という物質的基礎を持ち内的必然性を持って進む。それは「グレートファーザー」の変容が外からの突然の侵入の性格を持つのと対照的である。
それは内的力による成長である故に「容器一身体一女性一世界」という大いなる環を破壊する事なくその環の中で進む。しかしそれは質的に変化し物質的な基礎から精神性を生み出す。
ノイマンはこう語る。
「母権社会は決してバッハオーフェンが考えた様な地上の物質的世界、儚い浮世の世界、闇の世界ではない。再生の秘儀によって、個は光に高められ、不死なるものとなる。」
バッハオーフェンが慈愛や和解力、統一力や密儀宗教など母権制の偉大な精神的特質に感嘆しながら、一方では母権制を物質と夜に結びつけ精神と光はアポロン的父権制から来ると主張するのに対し、ノイマンは「月と星」という母権制の光のありかたの重要性を強調する。
母権制では光は先ず月である。大地母神の基本的性格である容器、内部、夜、闇から夜空の月へと繋がるからである。昼と太陽は大いなる女性の子供と見なされる。